坐禅を嗜む
こんにちは。大阪校の岩越です。
先週末、坐禅会に参加してきました。場所は池田市伏尾に
ある「陽松庵」という禅寺です。スタートは朝9時半。
最初に作法を教えて頂き、鳥たちのさえずりが響き澄んだ
空気が流れる禅堂で1時間ほど坐禅を組みました。その後、
仏様にお祈りをし、作務(私は禅堂の掃除を担当)を行い、
茶話会を経て終了。全体で2時間ほど。参加費はお布施と
して300〜500円程度でした。
禅堂には当然ながら空調設備はなく、坐禅や作務は裸足で
行うので、この季節は寒さがこたえます。特に作務の際は、
禅堂のタイルの冷たさにつま先がしびれて感覚がなくなり
ました。ただ、つま先は寒さを感じるものの、坐禅の際に
深い呼吸を繰り返すことで全身の血行が良くなるからなのか、
体自体は思ったほど寒さを感じませんでした。
坐禅会に参加しようと思ったのは、年末年始のことです。
積読状態になっていた長編小説をいくつか読み、息子と
一緒に温水プールや公園で遊び、絵本を読んだりしながら
過ごしていました。そんな日々の中でふと思い出したのが、
「合目的的行動」について。以前のブログ「かけがえの
ない未来」でも触れた話ですが、大人というのは何か行動
する際、目的が定まらないとなんとなく居心地悪く感じて
しまう。一方で子供は、行動の目的や損得をほとんど意識
せず、ただ純粋にやりたいことをやる。
小説を読み進める中で気になったのは、「この小説から何か
学びを得ようとする思いにとらわれすぎているのでは?」
ということ。純粋に文章を味わい、登場人物の表情を
イメージし、情景を思い描きながら、展開を読むことに
心を踊らせる。絵本を読む息子の表情を眺めていると、
自分が本を単純に楽しむことができなくなっているのでは
と感じたのです。そんなときに書店で「禅」について書か
れた書籍を目にして、坐禅に興味を持ちました。
坐禅会で頂戴した「坐禅作法」という冊子には、「禅」に
ついてこう書かれています。
「禅」とは、ものごとの真実の姿、あり方を見極めて、
これに正しく対応していく心の働きを整えるこという
のです。そのためには、身体を調え、心を静かにして、
物事の好き嫌い、善し悪しなどの、日頃の心の働きに
とらわれていてはできません。私達の意識は一瞬一瞬に
動いていますが、その一つ一つを追いかけるのではなく、
流れのままに任せることが大切です。
「ものごとを楽しむ」ということは、そこに何らかの感情
(好き嫌いの判断)や理性(善し悪しの判断)が含まれる
ので、禅の考えからいうと避けるべきことなのかもしれま
せん。そもそも「ありのままを受け入れる心を養いたい」
といった目的意識を持つこと自体、雑念を取り払い無心に
なるという坐禅の考えには反するのでしょう。純粋に目の
前のものに没頭することで、四六時中頭の中を駆け巡る
雑念から解き放たれる。このことを通じて、結果的にもの
ごとの真実のすがたを見極める心を養うというのが坐禅の
効用のひとつなのでしょうね・・・。
理屈っぽい話はさておき、初めての坐禅は、雑念を受け流す
どころの話ではなく、正直足のしびれをどうやり過ごすかで
頭の中はいっぱいでした。とはいうものの、坐禅を終えた
後の気分は、ランニングで汗を流した後のような爽快感に
満たされ、体がずいぶん軽くなるのを感じました。
何かに追われ続ける日々に小休止を取ることで、気持ちを
リセットし、清々しい気分を得たい方は、ぜひ一度お近く
の禅寺を訪問されてみてはいかがでしょうか。
岩越祥晃
<参考:座禅会開催場所リスト>
臨黄禅 黄檗禅 公式サイト
曹洞禅 公式サイト
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